第41回「歌麿美人大首絵」(10月26日放送)では、試し摺りを見た蔦重が、背景に雲母の粉を摺り込んだ雲母摺にすることを思いつき、歌麿のはじめての美人大首絵『婦人相学十躰』はすばらしい仕上がりになった。
しかし、蔦重と組んでいた寛政6年ごろまでが歌麿のピークだ、というのが一般的な見方である。以後は、歌麿ならではの描写力や心情表現の才能をどう活かしたらいいか、わからなくなったという指摘がある。プロデューサーとしての蔦重の存在がいかに大きかったか、という ...
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気づいた時には「恩人」はすでに亡くなっていた…蔦重と決別した歌麿が生涯苦しめられた天才絵師ゆえの"病"江戸時代後期に活躍した喜多川歌麿とはどんな人物だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「唯一無二の才能を持つがゆえに、強烈な自意識があった。蔦重と決別後の作品からは、その意識との戦いの跡が見て取れる」という――。 問題は傑作「美人大首絵」完成後にあった ...
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